ねえ なぜ 生きてるの? | 三十路から始める、ヲンナづくり。

三十路から始める、ヲンナづくり。

前身ブログ『新・こんなおゲイの汚れ道。』よりリニューアル。
すいません、もうゲイは卒業です。
30代よりホルモン治療を開始し、
男性でも女性でもなく「女装性」として
生きていく覚悟を決めたアロムの迷走ぶりを見守って!

退院早々、いろいろと仕事が立て込んでいて忙しいっす。

イベント出演した後、仕事直行して、朝8時までがんばったりね。
ご出勤していくリーマンの群れと逆行して家路につく時、ちょっぴりもの悲しい気持ちになるわw

ところで、入院中、私はできるだけお見舞いは断ってました。

グロッキーでくたびれた姿を見せたくないってのもあるし、気を遣うのがイヤっていうのもあるし、気を遣われるのもイヤっていうのがあって。

そんな私でも、女装友達のタオちゃんにだけは、入院直後で身動きとれない時に甘えてしまったわ。

「ケータイの充電器と、替えのパンツ……そして、ひげ剃り(T字)。ヒゲはえてきた…」

って連絡して(笑)。

そしたらその夜にすっ飛んできてくれて、頼んだ以上に配慮された品物を差し入れてくれて、ほんとに有り難かった~。できるオンナよ、タオちゃん。

あとは、職場の社長や元カレも来てくれたり、
さらには、名古屋に住む姉が、突然抜き打ちでお見舞いにきてくれたわん。

姉とは、病院の話や世間話など、なんてことないことを話して別れたんだけど、退院後も私が無茶するのを見かねてか、
あらたまったメールが届いてました。

「お願い事。これひとつだから…
二人しかいない姉妹。
頼りにならないけど…頼られないのは悲しい。
『ひとりだから』・・・なんて二度と言わないでほしい。
何かあったら言って」



女性ホルモンを打ちはじめた頃から、
「私って、自分のことしか考えずに生きてきたし、いい歳になった今もそういう生き方してる不届き者ね」とは常々思ってはいたの。

だけど、そう思うばっかりで、一向に恩ある人たちのために生きようとすることもなく、"明日死んでも、まいっか!"と思えるような刹那的な生き方を選んでいたわけだけど、
姉からのメールで、今さらながら「私って、こんなに愛されてたのね」と気づかされたのでした。

今までは、とくに誰からも愛されている実感もなく、自分は守るべきものもない人間だと思っていたからこそ、自分の命を軽く見ていたんだけど、
そんなに心配かけていたのかと思ったら、マジで今さらだけど、申し訳ない気持ちになったり…。

私がバカ過ぎて、そして申し訳なさすぎて、
そのメールをもらってから数日経った今も返事することができていません。

返す言葉もないって感じ。



入院前から、同じく女装仲間のアン子さんと、冗談でよく加藤ミリヤの『20-cry-』ごっこをしていた私。

「私はひとり…いつもひとり…ずっとひとりで…歩いていくのかな…とても苦しいのに…」

ミリヤの楽曲の中でも、トップクラスの報われないソングよ(笑)。
この歌詞を、なにかにつけLINEでつぶやきあってるわけだけど、、、

もう「ひとり」だなんて言っちゃいけないみたいです。




退院早々、『阿佐ヶ谷ナイト』にしてきたので、
共演したTAKEAちゃん(左)、ツレちゃん(右)とパシャ☆

私、「怖いくらい青白い」と絶賛(?)されました。



また安室ちゃんでゴムパッチンしてきた♪
盛大に椅子から転げ落ちたりしたおかげで、アザができました。名誉の負傷!